サムライが靴工?

サムライが靴工?

日本が開国に踏み切ってはみたものの、洋服や靴を日本人の手によって製造することは、外国人の援助なしには到底無理なことでした。近代国家として日本が踏み出すためには欧米からの技術導入を必要としました。そのため政府は、「殖産興業」を旗印に欧米先進国から多数の技術者を招きました。彼らは鉄道・鉱山・電信・工業など多方面で活躍しました。

靴の製造教師として日本人を指導したのは、最初は中国人でしたが、次いでオランダ・ドイツ・アメリカから製靴や製革の専門技師がやってきました。西村勝三が靴の教師として最初に雇用したのは中国人の藩浩で、かれはフランス製の軍靴を見本に製法を伝授しました。

次に西村のしたことは生徒探しです。勝三は弟を介して知り合った高橋誠治や渡辺英二郎、田村利三郎に声をかけました。3人のうち特に高橋は、旧糸魚川藩士で、以後幹部社員として西村を補佐しました。熱心な3人はわずか半年ほどで靴作りの技術を身に付けたといわれています。高橋らのほかにも多くの青年が藩浩から靴作りを学び、彼らはさらに数多くの靴工の指導養成に携わりました。

[参考文献:靴産業百年史・日本靴連盟編、ニッポン靴物語・山川暁著]
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