伊勢勝って何?

伊勢勝って何?

西村勝三は、1836(天保7)年12月9日、佐野藩(現在の栃木県佐野市)の付家老の三男として江戸の藩邸で生まれました。西村は、明治維新より7年前に刀を捨て、商人になった、元は武士です。

彼は、専売品であった朱の密売に手を出し、抜け荷買いの罪で収監され、謹慎処分中に銃器の売買を行ったために、石川島の人足寄せ場に送られたこともありました。彼は”人足寄せ場で社会の底辺で暮らす人たちと寝食をともにすることで、彼らを自分と同じ人間としてみることを教えられ、身分によって人を差別することの不合理さに気付かされた”といいます。

病気療養中のある日、勝三は彦根藩領佐野の豪商、正田利右衛門に紹介されました。正田は砲術助教をつとめたことのある勝三に鉛の精錬法を教示してほしいと言ってきました。結局、鉛を精錬することはできませんでしたが、この間のさまざまな努力と研究は、後に伊勢勝白煉瓦製造所の経営に結実することになりました。

桜田門外の変に端を発して彦根藩と水戸藩の折り合いが悪くなり、藩の一大事が噂されたため、正田は鉄砲を購入することにしました。買い付け役にはその道に詳しい勝三がなりました。西村は正田を誘って国際港として新しく開かれた横浜へ出かけました。大きな蒸気船が碇泊し、派手な服装の外国人が行き交い、商館には珍しい品々が並んでいました。

外国船に目を奪われた勝三を正田はある店は連れてゆきました。その店には「伊勢屋」の看板がかかっていました。主人は岡田平蔵。通称は伊勢平。日本橋に本店を持つ豪商です。岡田は貿易実務にも詳しく、運上所の諸色目利役も勤めていました。伊勢平の話に触発された勝三はその後、岡田の助手として運上所で働くことになりました。

後に西村は、1866(慶応二)年二月、横浜太田町三丁目に「伊勢勝」の看板を掲げました。伊勢平にあやかっったのです。勝三が商ったのは銃器でした。

[参考文献:ニッポン靴物語・山川暁著]
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